徳洲会 

ドン・キホーテ

那須自然郷

那須自然郷(記:平成12年6月30日)

夏の避暑地と言えば軽井沢とならんで那須高原が有名である。軽井沢は有名人の別荘が沢山あるので有名となった。しかし、大きな森の中に滞在し、ゴルフやテニス・乗馬でもすれば別だが、遊園地で遊ぼうとする人達には何となくつまらない。那須には、りんどう湖・動物園・遊園地・美術館・ゴルフ場・テニスクラブ等が数カ所あって、避暑に来た人達を退屈させない。また、天皇の御用邸もあって有名人の別荘どころではない。こんな那須高原に自然郷自治会という団体がある。地主さん達約一,二八六名を会員として毎年総会を開き、会計報告をして会員の意見を聞いて一年間の活動方針を決定している。 私は自治会設立に貢献した、という理由から会長をまかされ、今日に至っているのである。石油ショック後、日本経済は下降線をたどり不景気の波が押し寄せた。それまで不動産会社は一山単位で地元民から安価に仕入れた土地に道路をつけ、造成も粗末なもので区画だけをつくって都市の住民に別荘分譲地として売り出した。当時は田中内閣で土地を買っておけば一年後には二倍三倍に値上がりをするという時代であった。そこで売主側の不動産会社は、充分な造成もしないまま特に道路の位置指定もとらないまま形だけ道路をつけて一〇〇坪単位で売り出した。購入者も分譲地が何処にあり、どういう土地かも検討しないで、業者の言うなりに買い取った。すぐ別荘が建つものと思っていたが、なかなか買主は別荘を建てない。土地の値上がりを待っていたのだ。しかし石油ショックを起点とする不景気で土地は値上がりどころか値下がりするようになってきた分譲した会社は二・三を除き倒産するか、東京に引き上げて、那須の土地に見切りをつけた。管理する会社は何処にもなく、買主も個々では管理ができないので荒れ放題となっていた。道路にまで親指くらいの木が繁って普通乗用車では入れないようになっていた。水もなく、電気もない荒れ果てた分譲地となっていた。

そこで、那須高原温泉資源株式会社、幸和建設株式会社等の現地の会社と相談して不動産会社の介入しない地主自らの手で自治会を設立して、道路整備・水道の増設・環境整備をしよう、と働きかけた。毎週日曜日には地主さんを現地に呼び集めて、現状の説明会を開き、この荒野をもとの分譲地にするためには、如何にするべきかを検討した。幸いに、地主さん達もこのまま放置することはできない、何とかしたい、という声が強く、日に日に会員数も多くなっていった。そこで地主自らの手による自治会が発足した。昭和五七年のことである。地主に働きかけた 私が会長職を引き受けざるを得なかった。以来一八年間、今や別荘数も三〇〇棟を越えている現状となったのである。

板室地域では、戸田・高林・西岩崎に自然郷自治会と同じような荒れ果てた別荘地があったので、この地域にも環境を整備し、分譲当時の別荘地にしよう、という声があった。板室温泉供給株式会社と相談のうえ、計画・立案をして、自治会ではないが事業組合を設立することになった。先ず水道を引いて飲料水の確保に手がけた。西岩崎では地下二八三メートルも掘ってやっと水脈に出会い飲料水を確保している。水道の次に温泉ということで板室の源泉から延々一二キロも温泉管を引っぱって給湯している。道路もデコボコ道路であったが、アスファルトを敷き、立派な別荘地の道路となっている。電話・電気も引き、別荘生活には事欠かないようになった。ここでも 私は理事長として理事会をまとめ、組合の方針決定をして発展する組合に助力している。今や会員数一,一五〇名、別荘建築等三〇〇棟を越え、地主による地主のための組合という不動の理念は貫かれている。

 


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