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企業の創設と終焉(記:2000年10月30日)

有楽町で会いましょう!という歌とともに有楽町に進出した「そごう」は、有名な関西式商法というふれ込みで一流デパートとして開店した。通りを行く人も立派なデパートが都の中央に出来たものだ、といって店に入った。入店した人がみんな顧客で売上は急上昇したとは言えないとしても、かなりの人が買上げ、売上げは相当なものだった。有楽町駅のすぐ隣、銀座の入り口という地理的環境も良くて開店以来客は絶えなかった。

しかし、その店も七月一二日民事再生法の申請をなし、事実上倒産した。一八三〇年(天保元年)に十合伊兵衛が古着屋を「大和屋」として創業、明治三〇年十合合名会社として設立、明治四一年デパートに転換、昭和二四年に大証一部に、昭和三六年東証一部にそれぞれ上場した。

長期間、大阪・神戸・東京の三店舗で営業が続けられていたが、昭和三七年、日本興業銀行出身の水島広雄氏が社長に就任し、赤字を抱えた経営難を積極的な拡大策をとり、昭和四二年には「千葉そごう」五四年には「黒崎そごう」六二年には「太平洋そごう」を台湾に建設し、二〇店舗に拡大した。拡大に拡大を続けていると利益があるからだろうと周囲はみていた。

全国各地で自治体が行う駅前再開発などと組んで「地域一番店主義」を掲げて、売場面積一〇万平方メートルを越える「横浜そごう」に象徴される大規模出店を繰り返し、平成六年には四〇店舗体制を目標としていた。このほかシンガポール・タイ・ホンコン等海外への出店も多数行い、国内では有力百貨店の地位を築いていった。

ところが、バブル経済が崩壊してくると売上げは低下し、各地で購入した土地はバブル期の最上価格の時価であり建設コストも高かった。投資効率は極端に悪くなっていった。売上げ低下も予想以上であった。売上げの「右肩上がり」を前提に進めた拡大主義は行き詰まった。平成六年には水島氏が社長を引退。メインバンクの興銀・長銀から副社長を迎え入れて再建への取り組みをスタートさせた。

しかし、そごう本体の売上高の四七パーセントを占めていた神戸店が七年一月の阪神大震災で一一〇億円の損害を出した。さらに総合事業部の不良債権問題が発生。六年二月期で二九七億円の貸倒引当金を計上し再建は行き詰まった。かくて平成一一年二月期には再び大幅赤字を計上することとなり、三度目の再建策を余儀なくされた。平成一二年四月取引銀行七三行に対して六三九〇億円の債権放棄を要請した。政府自民党も一応は同意したかにみえたが、今年の選挙で国民の声は一企業にだけ保険機構の債権放棄をするのはおかしいということにつきた。そこで、自民党政調会長から債権放棄を取り下げるよう要請がなされ、自主再建を断念せざるを得なくなった。

そこで、経営の実体を支えてきた阿部泰治副社長は本年四月、中沢幸雄副社長は一〇月に、それぞれ首つり自殺した。株主代表訴訟によって違法配当一八億、架空取引二七億、トルコ進出失敗に伴う損失六八億円が、社長・副社長の経営責任として提訴されている。


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